【 現地の報告書から 】   

特定非営利活動法人プルメリア理事長 鈴木拓文
 
 現地でボランティアスタッフをしてくれているカミールは、現在ルソン島は首都圏ケソン市にある看護大学に通って看護師の勉強をしながら支援活動に協力をしてくれています。

カミールは、生まれる前に父親となる男性が逃げてしまい、幼少の頃は母親であるアビーが未だ学生だったという事もあり、カミールの祖母にあたるマイキの娘として育てられていました(フィリピンではチスミスと言われる噂話が本当に多く、何かあれば話のネタにされ尾ひれが付いてイジメの原因にもなるためです)。

          

そしてカミールの母親であるアビーはというと、彼女が大学2年生の時に父が脳溢血で他界し、それと同時にまったく収入が無くなってしまったので、それまで家族6人が住んでいたアパートから追い出され、親戚が暮らすトンドという地区に近いスクウォッター(不法占拠地)と呼ばれるスラムに移り住み、マイキのカーテンを裁縫する内職では学費も払えない事からアビーは大学を中退して、住み込みで食堂の仕事に就きました。

        

しかし朝5時から食堂で午後の2時半まで働き、仮眠をして夕方5時から再び夜の11時まで働き続けましたが、6ヶ月間はここフィリピンでは正規雇用の扱いではないので最低賃金さえ守らなくて良い様な法律のため、1日15時間以上働いても日本円にして3百円程度の賃金で(それでも職が無いよりマシという現状に)耐えなければならず、家族5人(アビーには下に3人の妹がいます) が暮らし、妹たちを学校へ通わせるどころか毎日食べさせる事さえも難しかった様です。現在でも首都圏の最低賃金は1日382ペソ(日給700円程度)ですが、これも守られてはいません。
 
    

失業率が高いフィリピンでは労働力には事欠かないため、いくら仕事を頑張ったとしても正規雇用になる6ヶ月を目前に、どの会社でも当たり前の様に労働者を解雇してしまうので、また新たな働き口を見つけなければなりませんでした。(これは日系企業が入っている現地フィリピンの経済特区でも同じ事で、6ヶ月周期で解雇と雇用を繰り返し、いつも現地の最低賃金で労働力を得ることで人件費を削減しています。労働者側からみれば搾取としか言い様がない雇用形態なのですが、ここフィリピンはその様な雇用法なものですから文句も言えず、生きるために耐えているのが現状です。)
  
     

当時カミール達が住んでいた200軒の廃材で作った家々が密集するスクウォッターでは、冷蔵庫を所有しているのは2軒だけでした(フィリピンの電気代は日本よりも高いのでテレビなどの電化製品を持っている家は今でも殆どが盗電をしています)。冷蔵庫が無いという事は生鮮食料品の買置きは出来ないものですから、現在でもその日に食べる分だけ毎日調達をしています。

野菜とか新鮮な魚介類などは田舎でしたら庭や近くの田畑の生えているイモの葉やカボチャの花を摘んでくれば良かったり、魚は近くの川で捕れたナマズなどでも良いのですが、この国の都市部に広がるスクウォッターの最貧困層ではその様なもの(新鮮な野菜や魚)は手に入れる事は立地的にも経済的にも困難ですので、大抵の家々はドライフィッシュ(干物)くらいしか買い置き出来るものはありません。田舎は田舎で作物が病気に罹ったり、不作だったり、海が荒れるシーズンなどはそれだけで値が上がり、これも貧困層にとっては死活問題なので、田舎と都市部ではどちらがマシか・・という事も言えないのですが。

             

また、都市部では、お米は「NFAライス」と呼ばれる政府米(現在1キロ25ペソくらい)が売られており、これを炊いてドライフィッシュ1匹を家族全員で分けて食べたりします。ただ「干物をオカズに食べる」というよりは、ドライフィッシュをしゃぶりながら、その塩気でご飯を食べるというスタイルです。

カミールの家族もドライフィッシュを買えない時は、ご飯に砂糖(白い砂糖ではなくサトウキビを煮詰めて濾過しただけの最も安い茶色い砂糖)をかけて食べたりもしましたし、肉を解体して捨てる部分の脂身を貰ってきて、それを油で素揚げしたものに塩を振ってオカズにする(とにかくカロリーだけを摂る)時もありました。

またNFAライスは低価格ですが小石やゴミが入ったままなので、そのまま食べると歯が欠ける恐れがあるため、食べる分をその都度テーブルに広げて、小石やゴミや虫などをしっかりと取り除いてから炊かなくてはなりません。ちなみにフィリピンでは虫歯になったら「抜いてしまう」というのが一般的で、日本の様に歯の治療にお金や日数をかける余裕は庶民にはありません。なので、フィリピンで歯がとても綺麗な人(特に若い女性)を見かけたら、それは「入れ歯」である可能性が高いと思います。
 
       

低価格米のNFAライスはこちらでは「レギュラー」と呼ばれておりまして、その上が「クラスC」と呼ばれるお米(現在キロ28ペソ程度)で、その上がクラスB(33〜38ペソ)、そしてDenorado Special(45ペソ前後)、jasmine rice (48ペソ〜50ペソ)と続いて「クラスAのジャポニカ米(日本型の粒が短い米でキロ55ペソくらい)」が精米されて現在店頭に並んでいます。市場で売られているお米で「ジャパンライス」と表示されているものはジャポニカ米というだけで日本のお米ではありません。もちろん日本の食材店に行けば日本米も売られていますが日本で買うより高価です。

ちなみにクラスC以下の米は少し黄色味掛かったインディカ米です。そして、そのお米も買えない最貧困層の家々では「コーンライス」または「ライスコーン」と呼ばれるトウモロコシを挽いたものを炊いてご飯の代わりにします。それも買えない家は、田舎では値段の付かない様なウベやカモテと呼ばれる堅い芋類を蒸してご飯の代わりにしています。 

なので、スクウォッターに暮らす貧困層の子ども達は栄養不良になってしまう事が多く、育ち盛りの子ども達にはビタミンや蛋白質が極端に足りない環境に加えて、さらに衛生環境や水質なども悪いものですから「下痢」という大敵もあります。

日本では単に下痢をしただけで子ども達が死んでしまうということは希ですが、フィリピンでは不衛生な水や食べ物から下痢になりやすく、普段の食生活からも抵抗力が低下している子ども達は下痢からすぐに脱水症状を起こしてしまい、これが命取りになって毎年多くの子供達が「下痢」で死亡しています。

             

また都市部といえどもフィリピンは下水や排水の整備がちゃんとされていないので、雨期や台風の際にはすぐに冠水して洪水となります。今年ルソン島に上陸した台風16号では、首都の80%が冠水し隣のマリキナ市などは河川の氾濫で100%冠水しました。また、翌週に上陸して停滞した台風17号では洪水や土砂崩れなどで380万人以上が被災者となり、損壊した住宅は5万5000棟に上り、中でも大規模な土砂崩れが起きたベンゲット州では一度に288人の死者を出し、16号と17号を合わせると2週間あまりで800人近くの死者が出ました。そして最も被害が大きいのは、粗末な家を河川の近くに建てたスクウォッターや、密集して避難がままならない貧困層の人々なのです。

      

それだけではなく今年の台風の二次災害としては、救援のための配給弁当で212人が食中毒を起こしたり、亜熱帯の国々では洪水の際に流行が予想されているレプトスピラ症という感染症(レプトスピラ症はネズミなどの保菌動物の腎臓からレプトスピラ菌が尿と一緒に排泄され洪水後の水を汚染し、汚染された水や土壌との接触によって経皮的に感染したり、汚染された水や食物の飲食による経口感染によって発症する病気)による髄膜炎などによって洪水後たった2週間でルソン島だけで90人以上の人々が死亡しました。
 
しかし小学校も通えなかった貧困層の人々は、この様な感染症に対する予防知識はありませんし、洪水で停電しテレビも映らずラジオも電池が買えないので停電時には役に立たず(洪水時には感電の恐れがあるので送電をストップするのです)、また新聞からの情報も入らないままです(もともと新聞なんて買えませんし英字新聞は読めない大人が殆どです)。そして何も知らない子ども達は汚染された洪水の水で遊び、皮膚に傷などがあれば感染してしまいます。

今回のフィリピンの台風被害について、日本では「フィリピン=いつも洪水」という感覚なのでしょうか、こんなに悲惨な結果となった今年の洪水の被害でも、あまり日本のテレビニュース等では報道されませんでした。
 
       

そんな環境で育ったカミールですが、学校へ行けば大好きな本が自由に読めるし勉強も大好きだった事と、母親が大学中退という事もあって家庭でも「何とかして高等教育を修了して仕事に就かなければ、食べる事さえままならない」という経験から、大人はご飯を1日1食で我慢してでも子供だけは学校へ行かせたいと、母親のアビーもカミールがハイスクールに上がるまでスクウォッターという劣悪な環境の中で、毎月の生理用品さえも買えないまま、女手一つで家族を支えて頑張っていました。

殆どの一般庶民と呼ばれる家庭でさえ共働きをしてギリギリの生活をしているのに、その三分の一の収入で5人の家族が何とか生きているという貧困生活でしたが、クツ(サンダル)を持っていなくても学校だけは休みませんでした。

都市部ですけれどスラム街のカミールの家には電気などありませんので、夜は学校の宿題をするために近くの街灯のある場所や、通りのコンビニまで出掛けて行って、コンビニの駐車場の片隅に座り黒煙の混じったジプニー(乗り合いジープ)やトライシケル(乗り合いバイク)の排気ガスを避けるように、コンビニの店内から漏れる明かりで、同級生の教科書をコピーさせてもらった紙を開いては宿題をしていました。
   
          

幸運にもケソン市から北西にあるバレンズエラ市郊外に、ブロックを積み上げただけに見えるのですが当時1ヶ月1500ペソ(現在は2500ペソ・日本円で5000円)という格安の貸店舗(といっても広さ6畳に満たない程度のスペース)を借りる事が出来たので、母親のアビーは子ども達の学資の為にと切り詰めながらもコツコツと貯めてきたお金で文房具やパーティー用品などのギフトショップ店を開店し、首都圏のデビソリアやキアポなどで商品を仕入れて売る事で収入を得て、カミールも勉強で学費の割引を受ける事が出来る様に頑張って看護大学に入り、いま「やっと家族に未来が見えて来た」という所です。
   
          

「どんなに苦しくても希望を捨てずに努力を怠らなければ、必ず神様はチャンスをお与え下さる」と、カミールは信じています。そしていつも感謝の気持ちを忘れず、同じように困っている人々や子ども達を少しでも助けたいと看護師の道を選びました。また時間がある時は母親の仕事を手伝ったり、近くの貧困層の家々を回ってお年寄りの血圧を測ったり子ども達には衛生面でのアドバイスをし、プルメリアの支援活動にも現地スタッフとして毎回無償で参加してくれています。
   
           

この様に劣悪な貧困の中で、大抵の人間は心が折れ曲がってしまいそうな環境にあっても、人を騙したり、陥れたり、足を引っ張ったり、妬んだり、恨んだりせず、真っ直ぐな意志を持ち続け成長していくカミールの様な若者達を、私達は心から応援していきたいと思います。そして彼等の様な若者達が、近い将来、自らこの国の環境や社会を良くして行ける様な成長を遂げてくれる事を願って、共に私達も学びながら、出来るだけ多くの子ども達のサポートを続けて行きたいと思います。