【なぜ貧困が貧困を拡大させてしまうのか】 causes of poverty in Philippines. 都市部で貧困が貧困を拡大させている原因の一つとして、人々が小学校へも通えずここフィリピンのセブ島でもハイスクールを修了できる人間は全体の半数にも満たないという現状がありますが、そうした人々は、まともに職に就くことも難しく、貧困層はいつまで経っても貧困のままであるという負の循環が貧困の再生産として説明される事が多々あります。また、ハイスクールを卒業し仕事が得られれば貧困から脱する事が出来るかといえば、それもまた簡単にはいかず、その背景には彼らの歴史の中で刻み込まれて来た意識や慣習の壁というものが存在するのです。 これは元はといえば一握りの大地主が国土の大半を支配する中で、土地が持てない貧しい農民達は、どうしても食べられず仕事を得るため都市部に集まりスクウォッター(squatter)と呼ばれるスラムを形成して行ったのが途上国の貧困としてクローズアップされているのですが、都市部に限らずこの国の半数以上の貧困層の人々はその日に食べるものさえ事欠く苦しい生活の中で、なかば食料やお金を貸し借りする事が当たり前の様に繰り返され、徐々に、返せる見込みが無くとも何とか借りなければ家族が食べていけないので、お互いが貸し借りをしている内に、返す気が無くても借りる様になり、少しでも持つ者は、持たざる者へ与えなければ、今度は自分が困った時に助けてくれないという因習がウタン・ナ・ロオブとかヒヤ(内なる負債とか恥)という言葉で表されるネガティブな意識(特にウタン・ナ・ロオブなどは自分を助けてくれた者から受けた恩義をかえす義務)として社会的風潮にまで形成されて行き、それは都市部のスラムだけではなく、郡部の田舎であっても街の低所得層であっても、現在はその風潮に慣れきってしまって、もはや「貸し借り文化」とまで言えるくらい全国的に慣習化してしまっています。 特に貧困層では、どうしても家屋なども粗末なもので、外から中が一望できてしまい裸同然のプライバシーなものですから、何を持っているか何を得たのかは周囲にスグ知れ渡ってしまいます。日本にも人の生活を覗き見して周囲に吹聴する人が居ますが、尾ひれを付けて根も葉もない噂(チスミス)をまき散らす人々(タガログ語でチスモーサ)が貧困層には非常に多いのです。そのため、もし幾ばくかのお金や食料を持っていたとしても、親戚や周囲からの借金や借用を断ったりすれば、あらぬウワサを立てられ周りから暗に攻撃されたり、村八分にされたり、貧困層の中でさえ差別をされて、そのコミュニティー内で悲惨な目に遭う様になっていったのです。 英語圏にはGood fences make good neighbors.(しっかりした垣根がよい隣人を作る)という格言がありますが、フィリピンの貧困層ですと垣根どころか窓もドアも壁も無い裸同然の生活環境の所が当たり前です。その様な生活の中では食料や幾ばくかのお金を得たとしても保存しておくとか貯蓄するという事は極めて困難で、自分達が得たものは極端な話その時にスグにでも消費してしまわないと、結局は誰かが借用に来たりお金の無心に来たりして無くなってしまうのです。 なので何かの為に備えるという事が非常に困難で、その日その日を生きていくという刹那的な生活、それを取り巻く環境から抜け出す事が容易ではありません。そんな中で子供を育てていく場合、子沢山の家族が多いものですから教育どころか産み捨てたも同然という場合もありストリートチルドレン発生の一因にもなっています。またこのように貧困以外の世界を知らない人々が貧困から抜け出せない原因は、貧困というものに安住してしまっている彼ら自身の中にもあるのです。 中には何とかハイスクールくらいは修了し職を得るチャンスに恵まれ、どうにか食べて行けそうな人も居ます、中には海外へ単純労働やメイドなどの出稼ぎ働きに出るチャンスを掴む人も居ます。しかし、出稼ぎに出る為の旅費や仲介料を借金して働きに出たとしても、さらに現地で給与を搾取され、その中から月に幾らかの仕送りを本国にしたとしても、今度はその一人に家族全員がぶらさがって、貯えるとか何かに備えて残しておくなどという事が難しい生活環境なものですから仕送りの度に使い切ってしまいます。 また、送金を見越して借金さえしていたりする人達も多いので、ただ職を得たというだけでは、貧困から抜け出す事は非常に困難です。そして学校へも通えない子ども達の多くは、日々の生活の為に幼い内から労働力として家族を支えるだけに終始し、マナーやモラルや社会の仕組みも解らないまま大人になって貧困は再生産され拡大していくのです。 出来ることならウタン・ナ・ロオブではなくパキキサマ(深い友愛の情で、個人どうしのあいだの尊敬と助け合い)であって欲しいのですが、生きていくためには、綺麗事では済まされない目の前の現実が貧困層にはあるのです。私達からしても、モノやお金で困っている人々を助けてあげようというだけでは、その時だけの効果しか期待出来ませんし、その場限りの関係で終わってしまいます。 彼らにしても何かを受け取る時は満面の笑みを浮かべ感謝の意を表しますが、彼らもまた、その様な支援はその場限りの関係だと思っていますし、植民地時代から培われてきた潜在的意識の中で「持つ者が持たざる者へ施しをするのは当然である」といった感覚さえ持っているので、支援を受けたその理由や原因を理解してくれるまでにはなかなか至りません。 やはり家族や地域の将来を担う子ども達にこそ、しっかりとした教育を受けてもらって、知識と情報を得て、社会のしくみを彼ら自身が理解し判断出来る様になって、ただ生活の為に職を得るというだけではなく、家族や周囲の意識までも変えていける様な人間に成長して行かなければ、なかなか貧困からの脱出は難しいのではないかと思います。 the first step on the path out of poverty.(貧困から抜け出すための第一歩) だからこそ、子ども達には必要な教育を受けてもらい必要な情報を提供して、成長してもらう事が一番彼ら自身の為になる支援なのではないかと思いますし、私達も共に成長して行けるのではと思います。そして10年を超えて現地で生活をしながら結婚をして子供をもうけ、地域に根を張った活動をしている現地NGOプルメリア代表の濱野さん達は彼らを支援しながら様々なケースについて適切なアドバイスが出来るサポーターとしての資質を持つ適任者だと思っています。 もちろん現地で生活をしていて、彼らのコミュニティーに深く関わっているといっても、現地の人々から見れば、やはり「外国人」に変わりはなく、子ども達の未来のために教育の重要性を理解して頂いて、家族としても子ども達へのサポートをして行かなければならない様々な約束事を受け入れてくれるまでに入り込むのは至難の業です。もちろん彼ら自身で経済的な事だけでなくメンタルな部分の貧困を何とか出来る様になれば良いのですが、当事者である現地フィリピンの人々でさえも、そういった自分達自身のネガティブな気質を自虐的に「クラブメンタリティー」と呼んでいます。 [クラブメンタリティー] フィリピンの港の市場などでは、カニを水揚げした際に、竹で編んだカゴに入れておくのですが、一匹だけ入れておくとカニは竹カゴから這い出して逃げてしまいます。しかし、2匹、3匹、4匹と、多くのカニを竹カゴに入れておきますと、カニは自力でカゴから逃げ出す事が出来なくなるのだそうです。 それは、カニが這い上がろうとしても、他のカニが我も我もと這い上がろうとしているカニの足を挟んで引っ張り、下に引きずり落としてしまうからです。なので竹カゴにフタなどしなくてもカニはカゴから外へ脱出する事が出来なくなるのです。 この様な有り様を見てフィリピンの人達は自らの社会のメンタルな部分を投影するものとして「一匹一匹のカニは逃げ出したいと思っているのに、我々はお互いが協力したり団結することを考えず、各々が自分だけ逃げ出せればいいと常に利己的で、かつ嫉妬深いので、うまく逃げ出そうとしている他のカニがいれば、すぐにその足を引っ張って引きずり落としてしまい、結局は一匹もカゴから逃げ出すことが出来ないのだ」と、彼らフィリピン人自身が「クラブメンタリティー」と呼んでいます。(参考:フィリピンの番組 100%Pinoy Crab Mentality) 彼ら自身、判っていても植民地時代から培われてきたこのクラブメンタリティーというものは、なかなか教育を受けてマナーやモラルをある程度身につけたとしても、完全に払拭する事は難しい様です。しかし、このクラブメンタリティーに負けない強い意志を持てる様に、あらゆるものを吸収できる内から子ども達を育成し、彼ら自身が地域や社会の仕組みを変えて貧困を改善して行けるような人間になってもらえる様に、就学のみならず様々な情報やサポートをしていく事が私達プルメリアの活動であり、現地代表の濱野氏が目指している事の一つであり課題でもあります。また、それは彼ら自身この貧困の連鎖から脱出する為に必要な事だと思います。 フィリピンの子ども達の底抜けに明るく、そして輝いているあの笑顔が、「今その瞬間・瞬間を生きている証」 というだけではなく、未来に向けて希望に満ちた笑顔にもなって欲しいと思います。 (ももんが鈴木) |