【フィリピンの独立記念日】 

フィリピンの独立記念日(Independence Day)はタガログ語で"Araw ng Kalayaan"、フィリピンの革命家でフィリピン共和国の初代大統領のアギナルドが1898年6月12日にフィリピンの独立を宣言した事から独立記念日とされています。が、今年は12日が土曜日なので日曜日を挟んで14日の月曜日が祝日になります。日本で言う振り替え休日ですね。
 
というわけで、現地セブNGO代表の濱野さん宅にホームステイしUP(フィリピン大学)に留学しながらNGO活動にも参加されている"ひでぶー君"のブログにも独立記念日にちなんだ記事がアップされましたのでご紹介します。(以下ブログより)


     

というわけで(?)12日のセカンドチャンス(孤児院)での授業は、自分のピアニカレッスンとNGOプルメリア奨学生によるフィリピンの歴史についての授業の2本立てでした!。

フィリピンの独立についての経緯を説明する奨学生Rさん。スペイン、アメリカ、日本による支配を受けていたフィリピンが形式上初めて独立を宣言したのは1898年。ただ、実質的に独立を果たしたのは大戦後の1946年です。そのため、フィリピンには本当にオリジナルな文化というものはあまりありません。文字、言語、音楽、食、色々なものが多くはスペインから、またはアメリカから大いに影響を受けています。

    

長期間、宗主国による支配を受けていた元植民地国家が経済的・政治的独立をいきなり実現するっていうのは、言葉で「難しい」といってしまう程簡単ではない。つまり、本当に本当に困難なことです。だって自分たちで形作ってきた歴史も、政治のノウハウも、何もないんですよ目昔昔、フィリピンにも独自の文字が存在して、その文字で書かれた書物も存在していたそうですが、カトリックを布教させる段階でスペイン人が「悪魔の書」と言って独特文字の文化を完全に滅したという逸話も聞いたことがあります。日本で育ってきた自分なんかには想像に難い状況です。

「独立するんですか、だったらご勝手に」と去っていく宗主国。もちろんそれは旧植民地が最も望んだことで、だからこそ独立の道を選んだわけなんでしょうが…。残していったものは宗教と搾取体系。独立後も利権を握る少数のアメリカ人は残り、中国系民族が新たにフィリピン社会に参入し、お金の集まるところを中心に、再び搾取の構造が形成されています。

お金を稼ぐためにはむしろ、フィリピン人は海外に出稼ぎに行かねばなりません。OFW(Overseas Filipino Workers)と呼ばれる海外出稼ぎ労働者は、中東やアジア、アメリカはじめ世界中に散らばっています。今まで訪れた国の中で、フィリピン人(しかも現地で働いてる比人)に出会わなかった国はほんの僅かです。矛盾だらけの社会…。

    

今日の授業では、子ども達が「フィリピン人の良い面と悪い面」について自分たちで話し合って、発表しあっていました。以下その抜粋です。

<POSITIVE ATTITUDE(良い面)>
●ホスピタリティ(おもてなしの心)…近所の人、知らない人、外国人を含めて、全ての人を温かい心でもてなす。●信仰心…フィリピン人は信心深い。また、他の神を信じる人達についてもそれを否定せず、受け入れている。

<NEGATIVE ATTITUDE(悪い面)>
●先延ばし…今日できる事を今日しない、今できる事を今しない。結局やるべきことをやらずじまいにしてしまったり、忘れてしまったり。●CRAB MENTALITY(蟹の心理)…誰かが成功しようとしているのを快く思えない。自分たちがあまり恵まれていない中で、誰か身近な人が成功を掴もうとしたとき、妬みから彼の成功を妨げようとしてしまう事がある。

とこういう感じでした。他にも色々と意見はあがっていたのですが、インパクトがあって記憶に残っているものです。この子たちまだ10代(かそれ以下)なのに、自分たちの国民性客観的に把握できてる。特にNEGATIVEな面に関しては、自覚してないんじゃないかexclamation&questionと思ってることもしっかりわかっててちょっとびっくりしました。

最後には、「良いところは伸ばし、悪いところは改善したい」というお約束のまとめでしたが、なんかこの子たちできんじゃないか?と思っちゃいました。この言葉に実現性を感じたのは初めて。ただ、社会がそうはさせないんだろうなぁ…。

    

わんぱく小僧たちも、実は色々考えてるんですね。こっちで暮らす人たちは、常に「命」と向き合っているから、それはすなわち常に「社会」にも向き合わなければいけないって事なんだと思います。日本に暮らしてると、なんだか社会のことなんて人任せ。でも、ここではそうもいかない。社会のない人間集団なんて存在しないですからね。すなわち人間が2人以上存在すればそこにはもう社会と政治と倫理が自然発生するわけで。それらから切り離された人間なんて誰もいないわけです…

こっちで生活してると、それらにより切迫した距離で触れなければいけない、といったところでしょうか。UP (フィリピン大学)での政治の勉強も(政治、というよりは正確には政策科学)、政治を人間の本質として、そして社会科学としての2面から勉強する学問。そういった意味でもとても楽しみにしています。

ひでぶー from CEBUより


【B君のレポートを掲載】2010/06/09
 
今年の初めに一時帰国してフィリピンの政情についてレポートを纏め、プルメリアにも提出してくれた名古屋大学大学院国際開発研究科に留学中の奨学生B君が書いた研究論文の訳文を掲載します。

ちょうどフィリピン関係のニュースサイトであるインサイドニュースさんに次期大統領が教育について発言した記事が掲載されていました。
 
次期大統領の上院議員ノイノイ・アキノ3世はフィリピンの低下した教育の重要性を呼びかけている
エドガード・アンガラ上院議員は、今後6年間でフィリピンの教育水準を向上させ、徹底的に検討する必要があると言った。

アンガラは特に、政府が古い公立学校の施設の建物を再整備し、貧しい農村地域には、能力、実力のある教師たちと教材が必要だと強調した。「私たちは教育を通じてフィリピン人の才能を最大限に活かし、国内および世界の労働市場にとって必要な人材を育成するために努力しなければならない」とした。

政府は教師と学生の比率を改善し、教員の給与水準を上げて教員の資質向上と教育の質を高め、国の教育制度の競争力を確保する必要があるとした。

政府が運営する機関と公共団体は、公立学校の子どもたちに必要な本や、基本的な学校用品を十分に供給するように教育省が予算を割り当てる必要があるとした。国の基礎能力の評価が1990年代には 93.5%だったが、現在は88.5%に下落した。

ノイノイは、私たちの子供たちの教育の問題は、フィリピンの未来を決める重要なことであり教育科学技術部と同様、全政府機関が一体となった努力が必要だと呼びかけている(Philippines Inside News)


というわけで、今までも数字の上で「わかっていたこと」を、政府は何故やらなかったのか(出来なかったのか)という事を、今回B君が提出してくれたレポートを読んでみるとよく解る気がします。

「また口先だけか」と言われぬ様に、次期大統領であるノイノイ・アキノ3世には教育に関してやらなければならない事を「呼びかけ」るダケではなく是非とも実行して頂きたいと期待しております。


B君の研究論文【政府・NGO間の相互作用
 (PDF形式です)


【研修生のブログ始動】


今月から1年間フィリピン大学のセブカレッジに学部留学する中央大学法学部のひでぶーさん。彼はセブ島の子ども達(学校や施設)への楽器寄贈と現地での音楽会を通じて恒常的な日比国際交流・音楽交流を目指している中央大学の学生サークルPocoPocoさんの中心的メンバーです。

   
               窓際の青年がひでぶー君

    

滞在はプルメリア現地代表の濱野さんの家にホームステイしフィリピン大学に通い、現地教育支援活動にも協力して頂く予定で、日本の大学生の視点でみたフィリピン共和国はセブ島での生活のブログも始動しました。濱野さんの現地ブログと合わせて新研修生のブログ「ひでぶー from CEBU」も宜しくお願いいたします。
 

  セブ島で留学&研修  ひでぶー from CEBU


             


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