【現地ブログセブ島移住者の本音トークUより】
 

既に6日前の事になりますが、今週の日曜日は、‘父の日’でしたね。
この日、僕は、一部の卒業生と、現役の里子から‘ありがとう’のメッセージを貰いました。

要は、僕は、彼らから、‘お父さん’と見做された訳でして、本当に嬉しかったです。(…でも、“本当は‘お兄さん’の方がいい”と言うのは、贅沢と、言うか、‘勘違い’でしょうか…笑)

また、既に卒業して、2年以上になる、保育士をしている元奨学生(里子)Aさんから、久しぶりに、携帯メールを貰った事は、格別でした。

…彼女と出会ったのは、現在、23歳のAさんが、ハイスクール2年生の時の事ですから、既に、彼是、8年以上前の事です。その時、彼女は、郡部の山奥で、本当に酷い暮らしをしており、一番最寄のハイスクールへ通うにも現金が殆どなかったから、交通機関を使う事も出来ず、毎日歩いて2時間近くをかけ、雨の日にさす傘も無くて、バナナの葉っぱなんかを傘代わりにして、通っていたような状態でした。


        


Aさんが、そうした境遇にあったのは、全ては、無教養で無責任な父親のせいで、彼女が、物心つく前に、彼女の‘生みの母’は、街(セブ市)へ働きに出て、大した稼ぎもないのに、何人もの‘別の女’と遊びまくって、家庭を顧みない‘この男’に嫌気がさし、蒸発してしまっていた為、彼女は‘生みの母親’の事も知らず、その後、父親が他所から引っ張ってきた内縁の妻(ここフィリピンでは一旦結婚すると、基本的には離婚は出来ないので、そうとしか表現できないのです)に‘継子’として扱われ、更には、その後も、‘この男’の‘女癖の悪さ’が治らなかった為、この継母にも愛想を尽かされ、Aさんと妹、それに弟を含む4人が、‘この男’の‘第4番目’の女の家に預けられていたのでした。


…更に、程なくして、この父親が、‘5番目の女’と懇ろになった事に腹を立てた‘4番目の女’から、家を追い出されそうになっていた局面で、Aさんのハイスクールの担任の‘I先生’が、‘見ちゃいられない’と、父親と愛人(4番目の女)とに直談判して、Aさんを引き取り、僕らが、I先生の要請を受けて、教育・自立支援を引き受けた…そんな複雑な、日本では考えられないような経緯があったのです。(ふうう〜〜、書いてて疲れました…苦笑)


                


そんなAさんを‘里子’として採用すると決めた時に、彼女の場合には、教育支援から生活支援にまで踏み込んだ、特殊な扱いであった為、通常の里親さんには、Aさんの支援のお願いせず、僕らの団体としての直接支援をする事にしました。

…そして、彼女を引き取った‘I先生’は、

 『身の回りのモノは、私の方で揃えますから大丈夫です』

と仰ったのですが、先生とて、大して楽ではない暮らしぶりの中、そんな事までしていたのでは大変だと、僕らの方で、Aさんを‘買出し’に連れ出し、靴の代えとか、傘とか、通学カバンとか、本当に必要最小限のモノだけを買い揃え、“偶には美味しいものでも食べなさい”と、こちらの中華ファーストフード店で、一緒に御飯を食べさせましたが、Aさんは、半人前にも満たない量を食べたところで、もう、食べられなくなりました。(普段食べていないから、目一杯食べさせたい…なんて思っていた当時の僕は、全くの無知でした。Aさんは、‘欠食状態が常態化’して、胃が縮んでしまっていて、こちらからの支援開始後には、何度か、‘それによる胃痛’のケアをする為に、医療費援助を行った事があります)

昼食後、僕らはAさんをI先生の家まで送ったのですが、別れ際に彼女は、僕の手を取り、

 『…本当にありがとう』

…とポロポロと涙をこぼしながら、声を絞り出すようにして言いました。その時の彼女の‘手の冷たさ’を僕は未だに忘れる事が出来ません。(…栄養状態の悪さから来る‘低体温’だったのです)

      

その後、彼女は無事にハイスクールの卒業式の日を迎えたのですが、頑張ったAさんは、卒業式で表彰対象となり、通常、フィリピンでは保護者が、壇上で一緒にメダル他を受け取るのが一般的なのですが....

問題は、Aさんの実際上の保護者は、この学校のI先生であり、ちょっと‘ややこしい’話だったのですが、結局のところ、僕が、Aさんの親代わりに出席する事になりました。


…しかし、どうやって情報を得たのか、問題のAさんの父親が、この日、ひょっこりと卒業式に、しかも、いかにも‘チャラチャラ’とした女(彼女というか、愛人というか...)を連れて来てしまったので、17歳の多感な年頃だったAさんは、

 『…もう、イヤ!!』

…と父親と壇上に上がる事を頑なに拒否し、泣きじゃくりました。

…それを、I先生が、

 『…嫌だという気持ちも分かるけれど、彼が、あなたのお父さんである事には変りはないんだ
  し、ハイスクールの卒業式は、一生に一度の事なんだから... あなたの事が気になったから、お
  父さんも来てくれたのよ...』

…と、Aさんに言って聞かせて、I先生は、父親と‘愛人’にも話をして、愛人には、‘お引取’頂き、何とか‘その場’を取り繕った…そんな事も良く覚えています。

そんなこんなで、Aさんが、ハイスクールを卒業し、大学の教育学部へ進学し、2年ちょっと前には、大学を卒業したのですが、その時には、流石に、‘無責任な父親’の姿はありませんでした。そして、この時は、僕が彼女の父親代わりを務め、卒業証書を一緒に受け取ったのでした。

そんなA さんは、大学卒業前に、I先生とは、実の親子ではないし、先生も楽な生活をしていた訳じゃないのに、(当方からの補助はあったと言っても、)そうしてAさんを扶養した事には、色々と難しい事があったようで、感情の拗れを生じていて、卒業と同時に、逃げるように、I先生のお宅を出てしまったのでした。


        



その時、彼女は、僕の所に来て、I先生との問題について、かなり感情的になっていて、先生の事をなじったので、僕は、


 『…君の気持ちは分からないではないが、I先生がいなければ、僕らだって、君の事を助ける事は出来
 なかったんだよ。‘恩人’の事をそんなに悪く言うもんじゃないよ』


…と嗜めたのですが、僕のモノの言い方がキツかったのか、彼女は、それっきり、僕とも音信不通になってしまっていたのです。(その後、I先生が知り合い伝手に聞いた情報から、彼女が保育士として働き始めた事を僕に教えてくれたので、‘その事’は把握していましたが...)

そんな彼女から本当に久しぶりにメッセージを貰ったのですが、彼女曰く、

 『色々とありがとうございました。そして、ごめんなさい。おかげさまで私は今、
 毎日、幸せに頑張っています』

…との事でした。

僕にとっては、‘この一言’が何よりの喜びであり、うまく言えませんが、泣けました...

こうした心の触れ合いこそが、僕らの活動の本質なのだと再確認させられた出来事でした。


        

(権兵衛)

セブ島移住者の本音トークU




【農地改革って・・・・・】6月8日


先週、1988年のアキノ政権下で始まった包括的農地改革事業の延長法案(今度は5年)が下院本会議で可決されました。もう20年前に始まったハズの農地改革(自作農創設の取組み)なのですが、まったく効果を上げてないことは周知の事実です。 
 

           


効果を上げていないのに何故延長するのかというと選挙の票集めの為、農地改革推進に熱心なカトリック聖職者達の為と言われています(教会の支持は絶対に必要ですから)。大地主から農地を小作農民に譲渡することを目的として88年に施行されのですが、去年の12月に再延長された時には、なんと土地の強制収用に関する条項が削除されて「土地の供出は地主たちの自発的な意思に任せる」に代えられてしまって、代替案の起草も遅れた為に今月まで再々延長(先延ばし)されていました。
 


             



土地の供出は地主たちの自発的な意思に任せるとしたものだから、土地を供出する地主なんて一人も居ませんでした。強制収用を可能にする条項が無くて農地改革なんて出来るのでしょうか。
 

比農業省によれば農地改革法施行以来1,300億ペソが投じられ、単に土地を農民に分配するだけでなく融資や農業インフラの整備、耕作地の開墾や市場整備をしていると言っていますが、9百万ヘクタールの農地を6百万人の農民に配分したにも関わらず何故か農民は貧困に苦しんだままです。今回可決された法案でも土地配分や農民への支援に総額千億ペソを配分する事が盛り込まれているそうですが、いったいどこへそのお金が行くのやら・・・。
 


                 



また、今までの改革の失敗を「農民の怠惰のせいだ」として、農民らが土地を耕さずに転売してしまったからだという議員もいるのです。しかし実際に土地を売ってしまった農民は「食べていく為、子供の教育費の為、また海外に出稼ぎに出る為に、どうしても土地を手放す他は無かった」と言います。

土地を貰った農家が食べられる様になったのなら、手に入れた農地を易々手放すわけが無いと思うのですが、首都圏近郊などでは、土地の値上りを見込んで投機目的で地主や政治家自らが、農民から土地を買い戻すという農地改革法では禁止されている違法行為が行われていたという事です。
 


           



Asia Timesの記事にはこの様な事実に続いて、農地改革法によって土地を得ることが出来るプランテーションなどで働く小作農が3割いるとして、本当に貧困にあえいでいる7割の土地を持たない農民が、結局は土地を得た農民の小作人となるだけで、法律によって土地を分配しても新たな小地主を作っているに過ぎないと農業政策の専門家が指摘しています。
 



また、この法律で分配された土地は生産性が低く(地主が手放すくらいですから)、土壌再生に投資など出来ない貧困農民の作物は市場での競争力が無い事、そして自分たちの作った作物が輸入品の価格にはとても太刀打ちできない事を農民達は既に知っているので、ここフィリピンでは農業に従事する人達の数も年々減り続け、貧困ゆえに仕事を得るため都会へ流出してスクウォッター(squatter・スラム)を形成するという現状があり、もはや「貧困を無くす為には小作人に土地を分配すれば良い」という安易な手法に効果が期待できなくなっています。


       


そして貧困層であるが故に教育を受ける機会を失い、法律の文章も契約も自らの判断が出来ないという現実があり、農民だけでなく庶民の大半が政府や富裕層の言いなりになってしまっていると名古屋大学の大学院で学ぶプルメリアの奨学生A君も言っています。
 
先月A君がセブ島に帰郷した際に開催された奨学生のイベントでも、A君は「この国を取り巻く状況」として、後輩の里子達に講演をしました。その内容は、フィリピンは資本主義国家であるが、そのコマーシャリズム(商業主義)は既に極限レベルに達していて、富める者はより一層富み、貧しい者はより一層、貧しくなるという傾向が近年、特に顕著に感じていると言っています。
 

            


そして日本に住んでアルバイト等をしながら学業と生活というものを経験し、日本の社会や文化を知り、フィリピンでの植民地的な不公平・不公正な富の分配が未だにこの国の基本的なシステムである事がよく判ったと話してくれました。そしてフィリピン政府の発表では昨年まで国家経済は年平均7%の成長を遂げて来たというけれど、庶民層においては、以前と変らないか悪化していて、貧困と飢餓状況にある、と実感したそうです。
 
また、識字率という事についてもフィリピン政府は、ほぼ100%と発表していますが、これは文字通り一応の文字の読み書きが出来るという事で、法律や契約を理解する迄には至りません。ましてや役場の書類などでも標準である公用語の英語は別なのです。
 

                


また若年層の大半が教育の機会に恵まれない状況の主な原因は貧困に尽きますが、A君はさらに「貧困というやむを得ない状況(私達の宿命)というよりは、彼ら(この国の権力層)が私達に非常に僅かで且つ彼らによって都合よく歪曲された情報知識しか与えないで、彼らの支配や地位を存続させていこうという政策に起因するとしか思えません」と言いました。
 
そして「私がフィリピンから外へ出て、生活をし、勉強すればするほど、私達の国の上層の人々はこの国の若者達への適正且つ正常な教育を受けさせたくないとしか思えず、私達のフィリピン政府も未だに植民地的精神性に基づく封建的な教育システムを止めようとはしていません。そして彼らの望んでいる「教育」とは、自己判断能力を高めるどころか、己の事しか考えられず(周囲の事を考えられず)彼等がコントロールしやすい人間になる事を望んでいるとしか思えないんです」という事でした。
 

             


プルメリアとしては政治的な背景や日本人の価値観で判断した知識等を奨学生達に助言する事は一切しない方針なので、この奨学生A君が自国を離れて、自分自身の目で見て感じた自分の母国への批評なんですね。私達もどうか人々が平等に、そして安心して暮らせる改革や政策や開発を政府にして頂きたいと願って止みません。


開発や発展がもたらすものは「物の豊かさ、心の貧しさ」と言われる事がありますが、私達も何かを手に入れようとする時、努力とは別に今ある何かを手放さないといけない事があります。また何かを人に与えると同時に、何かを奪ってしまうこともあります。地位も財産も持たない貧困層の人々でも差別や病気などで家族を奪われたり、知る力も権利も奪われたままこの近代化の波の中で、この経済システムの中で、生きて行かなければなりません。
 

             


私達が現地で活動する際に、彼等に知識や情報を与えようとする時も
結果的に何かを奪う事にならないかを、考える様にしています。

土地やモノやお金ではなく、プルメリアはそんな人達のために教育支援を通じて、
自ら判断し切り開いて行けるチャンスを、夢を叶えるチャンスを・・・と思います。

(ももんが)

 

研修生のブログ更新中】 5月25日


先日からセブにNGO活動研修生を受け入れて、現地活動のお手伝いをして頂いております。セブには3回目となる"かよこさん"ですが、時間をかけてセブに滞在しながら子供達と接する事は、この国や地域の文化や現状を肌で感じて理解を深める事が出来て、きっと子供達と共に成長できるのではと思います。
 

男の子たちに囲まれて

3度目

【ありがとう】



KAYOKOのブログ in CEBU


  どうぞよろしくお願いします。














【脳の成長記事への追記です】

先日、貧困が脳に与える影響の記事を掲載しましたが、親の幸福感や憂うつなどの精神状態によるホルモン等の化学物質が精子や卵子に作用して、生まれてくる子供に持続的な影響を与える可能性もある様です。

妊娠期の精神状態が胎児へ与える影響等はこれまでも言われていますが、受精以前にさかのぼった期間の両親双方の精神状態が子どもに影響するという説が提唱されていまして、多幸感や鬱などの精神状態に左右される脳内のさまざまな化学物質は、生殖細胞(精子・卵子)における特定の遺伝子の発現に影響して誕生した子供の成長にも影響すると、メキシコのResearch Center Halabe and DarwichのAlberto Halabe Bucay博士がBioscience Hypotheses誌に論文を発表されたそうです。

Can Happiness Be Inherited?

       

エンドルフィンなどの脳内物質や麻薬等の薬物は精子や卵子に顕著に影響したり、両親から受け継いだ遺伝子が子供の性格を決定する一因となることは広く知られていますが、受精前の両親の心理状態も子供の遺伝子に影響を及ぼす可能性があるという事で、下記の栄養の面から子供に与える影響への私見と合わせて、私の様な男性でも、親として、大人として、生まれてくる子供達に悪影響を及ぼさない様に生きて行かなければと感じました。「子は親の鏡」とか「親の因果が子に報う」という様なことわざがありますが、科学的にも証明される日が来るのでしょうか。
 

私見 【オカマは遺伝する?】
 
栄養は二の次で、とにかくエネルギーを補給しなければと「豚の脂身をココナツオイルで揚げて、塩をまぶし、ご飯と一緒に食べる」という貧困層の食生活を権兵衛さんがブログ等で紹介していまして、それを拝見した時、やはり貧困から来る食生活が原因でバクラ(オカマ)が産まれたりするのではないかと感じた。 
 
タンパク質が摂れる魚も、塩をたっぷり塗って油で揚げるのではビタミンやミネラルも破壊される。日々の熱量だけを確保するために栄養などは二の次で大量の塩分、糖分、飽和脂肪酸を摂っているのでは、とても正常な身体を維持するのは難しい。
 
特に妊娠した女性がその様な環境であれば、当然胎児に影響が出るのは必至である。もともと人間は受精し着床したあと、数週間は母の胎内で全て女性であることを基本形としているのだが、その後、男は性ホルモンの働きで精巣ができ脳に変化が生じてくる。
 
女子の場合はそのまま女性としての人生を始めることになるけれど、男の場合、着床して6〜8週間で精巣が出来はじめる時期に男性ホルモンが不足したりすると、脳の作りが不完全で女っぽい男の子になり、思春期にゲイになる可能性が高いとされる。

つまり権兵衛さんが紹介した様な食生活という環境が、生まれる前から性ホルモンのバランスを崩してしまっているので、バランスを崩した母の胎内では、生殖器官は男なのに脳は女(トランスジェンダー)になる可能性が高くなるのではないか。
 
アメリカの国立ガン研究所の研究によれば、「子孫を残すという点でホモセクシャルの家系の存在が明らかになった」ということである。しかも最近ではゲイの男性は遺伝によるものと考えられ、母親からのみ引きつぐX染色体のどこかに傷ついた(書き換えられた)遺伝子があり、男性のホモセクシャルは遺伝性があるという研究が発表されている。
 
胎児が女でもバランスを崩した母親の胎内では性染色体XX(女)の胎児の脳の部分が男性ホルモンにさらされ「脳の配線は男で身体は女」という赤ん坊が生まれ、かなりの確率でレスビアンになるという発表もあります。ちなみにレズビアンの男性型をこちらフィリピンでは「トンボイ」と呼びます。
 
(セブ島旅行記より)




【貧困の中での成長は子供達の脳の発育にも影響が】
        
先月、米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表された論文に、発育期の貧困と生理的ストレスが成人になってからの記憶力との間に強い関係があり、貧困が脳に影響し学力を妨げるという研究結果が発表されました。

          

この研究によると、貧富の差による学力格差に関して、貧困層の子供達は、その環境が学ぶ事に適していない状況であるだけでなく、学力格差の原因として貧困層の成人におけるワーキングメモリ障害を挙げ、幼少時のストレスで脳に損傷を受けて引き起こされるものであるとしています。


             

 
数年前に私が投稿したセブ島旅行記の中では「貧困とバクラ(オカマ)の発生率」という仮説で、経済状態だけでなく食生活やストレスを受けやすい母体の状態が、生まれてくる子供に影響して遺伝的にもマイナスが受け継がれてしまうのではと考えていただけに、この研究の「貧困によって子供達が受ける脳の障害」と、その遺伝についての記事は、母体からの影響だけでなく、貧困の中で育つという事が子供達の脳の成長にとって著しいストレスとなって損傷まで受けてしまうというので、ショックでした。
 

         


この研究ではストレスを長期にわたって調べ、被験者の学生たちが9歳と13歳になった時点の血圧とストレスホルモンの測定をしたものですが、貧困とストレスの直接的な相関が示されたという事です。また、誕生時の体重、母親の教育程度、両親の婚姻状況、養育方針という貧困以外の要素にも分けて分析をし直しても結果は変わらなかったそうです。
 
動物の場合、脳の構造はストレスによって変化し個体が若い時期に受けるストレスによっては両親から子どもに受け渡される遺伝子にも変化が生じることが以前から指摘されており、この事から人間でも成長期に受けた貧困が原因の脳への影響がその後も遺伝する可能性があるという事です。 
 

子どもの貧困と知力の間の関連性を研究しているペンシルベニア大学の精神生物学者等は貧困との精神的因果関係はまだほかにも測定しなければならないものがあるとし、異なる認知結果には異なる原因があり、ワーキングメモリのようなものはストレスとの関連が強いかもしれないが、語学力等は子供達が費やす時間に関係する可能性があるという事でした。
 

                   


       
貧困というのは単に経済的な影響だけでなく、子供達が大人になり社会生活をしていく為の成長をも阻害して、また貧困のサイクルを作り出してしまうものになってしまい、現地教育推進活動のページにあります「貧困の原因が貧しすぎる事」という記事に、この研究結果もつながってしまったのは残念なことですが、この様な悪循環を変えていくには、やはり一人でも多くの子供達の成長をサポートして、成長した子供達が自分達の手で一人でも多くの子供達のサポートが出来る様になって、社会にも参加出来る様になり自らの手で変えて行ける様にならなければ・・・と思います。

 

         


(ももんが)



【現地ブログ
セブ島移住者の本音トークUより】
 

セブは天候不順の毎日が続いております。前回天候不順とその影響'を投稿した当日とその翌日は、一旦は青い空が広がり、‘やっと乾季に向けて動き出したか…’と、ちょっと期待したのですが、今週明けから、また良くない状態が続いています。


         


僕も、前回記事の中で、‘体調が悪い’とお伝えしましたが、おかげさまで、今は大分、楽になりました。また、記事中で熱が出て病院に行けなかったC君も、ちゃんと医者にかかって、単なる風邪と診断され、その後、薬も貰って、週明けから元気に学校へ通っています。またデング出血熱を発症して病院に収容されたB君も、一昨日、無事、退院でき、今は自宅療養していますが、恐らく来週には登校出来る事と思います。


さて、今回の本題は、C君の一件についての追加情報から始めたいと思いますが、彼の家庭訪問をした当日、実は、近所に住む、同じ学校へ通う‘Lちゃん’(小学校6年生)の日本人里親Tさんに、Lちゃん宅を訪問後、御同行頂いており、僕が、C君へ、その家族の目の前で、医療援助として当座の現金を直ぐに支給したのを御覧になったTさんは、“本当に大丈夫なんですか?”との疑問を発せられました。


        


…この御質問の意味を、僕は、即座に理解したのですが、恐らく、これは、これまで何らかの形でフィリピン人に関わった日本人なら誰でも持たれる疑問であり、要は、フィリピン人というのは、あらゆる意味で、‘お金に弱くて’、ちょっと金を握ると、他の用途に転用するんじゃないか…としたモノです。


つまり、こうした疑問が生じるのは、‘セブ島暮らし損か得か(その5)の中でも、述べさせて頂きましたように、一般的に言って、フィリピン人たちには、お金の使い方の優先順位というものが、日本人の理解には程遠くて、僕らの目には、‘愚民’とも映るようなバカバカしいカネの使い方をするような人も決して少なくは無いからですね。


       


だから、C君の事例ような状況下においては、例えば、こうした医療援助を目的としたお金を、病気自体は自然治癒に任せて、僕らが支給した現金をホールドして、食えない家族の為の食費他に使うんじゃないか…という事も考えられるし、普段支給する奨学金も、実は、半分は食費他に化けているんじゃないか…とか、言い出せばキリが無い訳です。


そして、僕ら日本人が、‘つい、彼らを疑ってしまう’もう一つの(最大の)理由は、これまでの状況では、日本人に近付いてくるフィリピン人のレベルが、かなり低かった場合が多かった事、それに、日本人側も、特に日本人男性が妙な下心をもって、フィリピン人女性に近付いた事が多かった事から、日本人とフィリピン人の関係を見ると、‘ロクでもないモノ’の間に成り立っていて、‘信頼関係と呼ぶには程遠いモノ’が主流だったからだと言えると思います。


また、以前、このブログに頂いたコメントの中に、‘成績上位者を選んで育てるような活動は、単なるエリート養成であり、この国の為にはならない’としたモノもありましたが、実は、それこそが、今回提起している問題の核心で、何故、僕らが、このスタイルでやっているのかの、回答になります。


    


10数年前に、前身の団体での活動を展開していた時は、今のスタイルとは、かなり異なり、取り敢えず、教育が価値のあるモノだと認識した上で、‘貧困が原因で就学の機会を得られない子供たちに、その機会を与え、自立を支援しよう’としたものでした。それ故、当初は、成績も何も関係なく、‘学校へ行きたい子は、この指とまれ’…に近い状態で、現在のような月次一律の現金支給はしていませんでした。



しかし、僕が8年前に、ここに駐在し始めてから明らかになった問題点は、

1.学用品を毎年受け取っているが、実は、小学校3年生を3回繰り返して
  いる(まともに出席もしないで留年している)とか、

2.学年の始めに学用品を受け取ってから、何時の間にか‘行方不明’に
  なってしまっている生徒が後を絶たないとか、

3.就学や医療に必要な経費を使ったら、レシートを保管しておき、その
  分を後で清算するという仕組みの中、一部の生徒には、かなりの頻度
  で、利用履歴があるが、大半の生徒には、それの利用履歴がない


…主なところでは、そうした事でした。それで、‘そうなっていた原因・背景’を項目別に調査・分析してみると…

1.元々、その家庭にも子供にも、就学の意思はなく、取り敢えず支給さ
  れる学用品を‘叩き売って’生活費の足しにしており、その為だけに、
 ‘学校へ行きたい’と嘘をついていた。

2.就学に当たって、例えば、領収書の出ない取引…学校へは歩いて通う
  事が出来ない生徒たちがジプニー他の交通手段を利用する事、‘コント
  リビューション’と称して、公立学校でのチョーク他の経費を生徒たち
  が不定期に頭割り負担する事、それに、教材の購入を自己負担で行わな
  ければならない事などが、一番大きな負担になっていたが、それを救う
  手段が、こちらに無かった為、かなりの者が、就学を断念して田舎へ引
  っ込んだ。

3.現地の担当者の‘えこひいき’により、そのコネを使って入って来た子
  供たちへの手当ては厚く、そうした‘返金制度’の情報は公開されてい
  たが、そうでない子供たちには、情報提供が無かった。また、偶々、知
  り合い伝手に、‘その情報’を掴んで現地担当者に返金請求した者で
  も、‘資金が無いから’と、拒否された。

…以上のような事が分かりました。


       


しかし、そんなネガティヴな事例の反面、年に1度の学用品支給を有効に利用し、食うや食わずの生活の中、時には自ら、小間使いのような仕事をしてでも、就学は続け、成績も上位を走っている学生たちもいた事が分かりました。そして、この中に、現在日本の大学院で勉強中のAもいたのです


…そうした状況を受けて、僕が、こちらへ来て直ぐに雇い入れた現地スタッフ(先の事例に挙げたのは別のスタッフで、こちらの方は、上記の内容も含めて、不正を働いた為、辞めて頂いた)に諮って打ち出した方向性は、現在の活動の基礎となる部分で、

1.学生の採用に当たっては、成績標準を設け、やる気を重視する事(成績
  を重視し、家庭訪問+個人面接を必ず行い、里子候補本人の素養と、家
  族のレベルを見極める事)

2.必要最小限の(調査の結果、就学に必要な過不足のない)現金を全員に
  月に一度、一律に支給する事


3.奨学金を受けた結果、どうなったかをちゃんと検証する為に、成績の報
  告を義務付け、問題があれば、即時、話し合いをする事

…以上3点でした。その根拠は、至極当然と言えば、当然なのですが、彼らが就学困難或いは不可能に陥るのは、現金が無い為であり、彼ら自身が未来の為に、教育を受ける事が一番重要だと感じている限りは、与えられた資金を、その最優先課題の為だけに使ってゆく筈だ…という所にありました。


          


結果としては…ほぼ、思ったとおりで、やはり、相手のレベルが(家族も含めて)高ければ、変なカネの使い方はしない上、80%以上の確率で奨学金支給前、支給後を比べて、成績の向上が見られた事と、思わぬ副作用(?)として、彼らが毎月定額の奨学金を自らの責任で管理させる事により、個人差はありますが、ちゃんとした金銭感覚を身に付けさせる事が出来て来たように思われます。(要は、日本人でも、未成年の内に、月単位、或いは週単位で適当な金額を‘お小遣い’として渡され、それを自分で管理する事によって、金銭感覚を磨く筈ですが、フィリピンような貧困国では、庶民レベルの子供に、定期的に一定額のお小遣いを持たせられるような家庭が、ほぼ存在しない中で、世代交代を重ねてしまっている事も、ちゃんとした金銭感覚や計画性が身に付かない原因の一つと考えられるのです)
         

毎月の奨学金の使途については、以前、大学生には、どのように使ったかのレポートを提出させた事もありましたが、現在では、彼らの責任の元に管理をさせ、その結果(成績)については一定の責任感を持つよう、意識付けをしており、医療費についてのみ、医師の診断書と薬を購入した際の領収書は必ず提出して貰っています。


そんな訳で、今回、C君からは、【領収書、診断書】が、先週末に提出され、関係医療機関には、こちらからも連絡し、内容確認をしてありますが、0.25ペソたりとも(?)違算はありません。


こうしたシステムで育てた学生たちに、今度は、底辺にいる、こうしたシステムでは救えないレベルの子供たちを支援する方向に動いて貰うのが僕らの最終目標であり、この役割を今、事務所ボランティアのR君が(まだ駆け出しながら)担っていますし、将来的には、今、日本で就学中のA君も、日本で学んだ事を生かして、‘母国フィリピンの為になりたい’と明確に意思表示していますから、これまでのところ、10年以上の時間をかけて、何とか形になって来たのかな…そんな風に感じています。





             
                    
(マクタン島のマングローブ)

(権兵衛)

セブ島移住者の本音トークU




         サンダル募金 について
 
首都マニラの線路沿いに住む何千というスクウォッター(squatter・ホームレスの人々が勝手に住み着いてしまった区域やその人達)が首都の景観を損ねるという事からマニラの北にあるバレンズエラ市に移転(リロケーション)させられましたが、今度は移転先の小学校が子供達を収容しきれないという事もあり、学校へ行けない子供達が増加。現地バレンズエラの学生達がプルメリアのボランティアスタッフとなって教会での活動等を開始している模様を以前お伝えしましたが、2009年になって現地の家庭状況を調査した結果はバレンズエラ市のビグナイだけでも1,045戸の移住者用の家(仮設テントやブロックを積み上げた家)があり、最近は世界的な不況の影響で今までより仕事が見つからない家庭も急増し子供達の就学率も悪化しています。
 
            
       この線路脇のスクウォッター(squatter)が政府によってリロケーション
       移転)され今度はバレンズエラ市にバランガイ(自治区)を形成しています。

リロケーション地区の小学生1年生〜3年生を調査したところ、このエリアの7歳から9歳の380人が靴を履いていません。サンダルを履いていても半分だったりボロボロで足を守る役目を果たしていない靴を履いている子供達でした。このリロケーションエリアで足に傷を作って不衛生なままにしておくと、感染症になる心配も高いでのす。それでなくとも近くを流れる川の水は汚染されていて、水たまりにはデング熱を媒介する熱帯シマ蚊が断続的に発生しています。
 
            
       多くの家はドアも窓も付いていないので熱帯シマ蚊の吸血に晒されてます、
       しかもデング熱が流行してから殺虫剤を散布するのでは遅いのでは・・・。
 
今回調べたのは下記に動画リンクとして掲載した番組でも紹介されているゴミ山のパヤタスから北西にある地域で、中華系比人が経営する工場が数多くある場所です。ナビスコならぬネビスコやサンクレストという大きなビスケット製菓工場やW・Lスナック工場、ジュースのブリックパックなどを作る工場、そしてその工場などで使うウエスを織物工場から廃棄される裁断片を使って作る工場などがありますが、この国は雇用半年未満は試用期間となり、半年未満で解雇して新たに労働者を雇い入れれば「半年未満の雇用は試用期間」という事から保険も最低賃金などの雇用法の適応もされず、会社側は低賃金の労働力を常時使えるという仕組みになっていて、これはこの国全域に言える事でセブ島の経済特区の海外企業でさえも同じ手段で安い労働力を使い回ししている所も多いのが現状です。
 
                
 
なので人々は仕事が見つかっても三ヶ月から半年未満で自動的に解雇されてしまって、また新たに職探しをしなければならないという事を延々と続けなければなりません。そしてリロケーションさせられてきた人達はその職にありつくチャンスも低く、無職の時は乗り合い自転車などを漕いで食いつないでいるという状況です。今回調査したエリアの人々も、常時三割くらいの人は仕事が無い状態で、皆さん自分で出来る乗り合い自転車やサリサリストアー(雑貨屋)をして何とか食べるものを・・という生活をしています。ちなみに乗り合い自転車は初乗り5ペソ(約10円)で、2q以上(だいたい)や重い荷物などを載せる時はプラス1〜2ペソ(2円〜5円)です。
 
世界的な不況で先進国に住む私達でさえ他人の事など構っていられないという様な雰囲気の昨今ですが、私達以上にその先進国の都合に左右される途上国の人々の暮らし。。。農地解放等の根本的なシステムを変えて行かなければ住むところも食べるモノも無く、田舎から都会に出てきてスラムを形成する人々が増えるばかりです、私達にも出来る何かはあるのでしょうか。

           
            「世界の貧しさのために出来ること」※動画リンク
 
私達もこれから詳しく家族構成(おおむね1家族あたり4人〜6人の子供)や子供達の状況を調査べて、現地学生ボランティアやバランガイ(自治区)及びリロケーションセンター近くの教会の協力を得て、学校へ行けない子供達や靴も履けない子供達にサンダルや文房具をプレゼント出来たらと思いますので、このページをご覧になられた皆さんにも「子供達へのサンダル募金」にご協力を頂けたらと思います。募金参加の証として現地NGOのシリコンリストバンドをお贈りしますので、よろしければサンダル募金にご協力を。
 
  サンダル募金終了後(サンダルを子供達へ配布した後)にプルメリアから
  現地NGOのシリコンリストバンドを記念品として贈らせて頂きます。
  サンダルを配るのは8月を予定しています。
 
 
(ももんが)





   
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