セブは天候不順の毎日が続いております。前回‘天候不順とその影響'を投稿した当日とその翌日は、一旦は青い空が広がり、‘やっと乾季に向けて動き出したか…’と、ちょっと期待したのですが、今週明けから、また良くない状態が続いています。
僕も、前回記事の中で、‘体調が悪い’とお伝えしましたが、おかげさまで、今は大分、楽になりました。また、記事中で熱が出て病院に行けなかったC君も、ちゃんと医者にかかって、単なる風邪と診断され、その後、薬も貰って、週明けから元気に学校へ通っています。またデング出血熱を発症して病院に収容されたB君も、一昨日、無事、退院でき、今は自宅療養していますが、恐らく来週には登校出来る事と思います。
さて、今回の本題は、C君の一件についての追加情報から始めたいと思いますが、彼の家庭訪問をした当日、実は、近所に住む、同じ学校へ通う‘Lちゃん’(小学校6年生)の日本人里親Tさんに、Lちゃん宅を訪問後、御同行頂いており、僕が、C君へ、その家族の目の前で、医療援助として当座の現金を直ぐに支給したのを御覧になったTさんは、“本当に大丈夫なんですか?”との疑問を発せられました。
…この御質問の意味を、僕は、即座に理解したのですが、恐らく、これは、これまで何らかの形でフィリピン人に関わった日本人なら誰でも持たれる疑問であり、要は、フィリピン人というのは、あらゆる意味で、‘お金に弱くて’、ちょっと金を握ると、他の用途に転用するんじゃないか…としたモノです。
つまり、こうした疑問が生じるのは、‘セブ島暮らし損か得か(その5)’の中でも、述べさせて頂きましたように、一般的に言って、フィリピン人たちには、お金の使い方の優先順位というものが、日本人の理解には程遠くて、僕らの目には、‘愚民’とも映るようなバカバカしいカネの使い方をするような人も決して少なくは無いからですね。
だから、C君の事例ような状況下においては、例えば、こうした医療援助を目的としたお金を、病気自体は自然治癒に任せて、僕らが支給した現金をホールドして、食えない家族の為の食費他に使うんじゃないか…という事も考えられるし、普段支給する奨学金も、実は、半分は食費他に化けているんじゃないか…とか、言い出せばキリが無い訳です。
そして、僕ら日本人が、‘つい、彼らを疑ってしまう’もう一つの(最大の)理由は、これまでの状況では、日本人に近付いてくるフィリピン人のレベルが、かなり低かった場合が多かった事、それに、日本人側も、特に日本人男性が妙な下心をもって、フィリピン人女性に近付いた事が多かった事から、日本人とフィリピン人の関係を見ると、‘ロクでもないモノ’の間に成り立っていて、‘信頼関係と呼ぶには程遠いモノ’が主流だったからだと言えると思います。
また、以前、このブログに頂いたコメントの中に、‘成績上位者を選んで育てるような活動は、単なるエリート養成であり、この国の為にはならない’としたモノもありましたが、実は、それこそが、今回提起している問題の核心で、何故、僕らが、このスタイルでやっているのかの、回答になります。
…10数年前に、前身の団体での活動を展開していた時は、今のスタイルとは、かなり異なり、取り敢えず、教育が価値のあるモノだと認識した上で、‘貧困が原因で就学の機会を得られない子供たちに、その機会を与え、自立を支援しよう’としたものでした。それ故、当初は、成績も何も関係なく、‘学校へ行きたい子は、この指とまれ’…に近い状態で、現在のような月次一律の現金支給はしていませんでした。
しかし、僕が8年前に、ここに駐在し始めてから明らかになった問題点は、
1.学用品を毎年受け取っているが、実は、小学校3年生を3回繰り返して
いる(まともに出席もしないで留年している)とか、
2.学年の始めに学用品を受け取ってから、何時の間にか‘行方不明’に
なってしまっている生徒が後を絶たないとか、
3.就学や医療に必要な経費を使ったら、レシートを保管しておき、その
分を後で清算するという仕組みの中、一部の生徒には、かなりの頻度
で、利用履歴があるが、大半の生徒には、それの利用履歴がない
…主なところでは、そうした事でした。それで、‘そうなっていた原因・背景’を項目別に調査・分析してみると…
1.元々、その家庭にも子供にも、就学の意思はなく、取り敢えず支給さ
れる学用品を‘叩き売って’生活費の足しにしており、その為だけに、
‘学校へ行きたい’と嘘をついていた。
2.就学に当たって、例えば、領収書の出ない取引…学校へは歩いて通う
事が出来ない生徒たちがジプニー他の交通手段を利用する事、‘コント
リビューション’と称して、公立学校でのチョーク他の経費を生徒たち
が不定期に頭割り負担する事、それに、教材の購入を自己負担で行わな
ければならない事などが、一番大きな負担になっていたが、それを救う
手段が、こちらに無かった為、かなりの者が、就学を断念して田舎へ引
っ込んだ。
3.現地の担当者の‘えこひいき’により、そのコネを使って入って来た子
供たちへの手当ては厚く、そうした‘返金制度’の情報は公開されてい
たが、そうでない子供たちには、情報提供が無かった。また、偶々、知
り合い伝手に、‘その情報’を掴んで現地担当者に返金請求した者で
も、‘資金が無いから’と、拒否された。
…以上のような事が分かりました。
しかし、そんなネガティヴな事例の反面、年に1度の学用品支給を有効に利用し、食うや食わずの生活の中、時には自ら、小間使いのような仕事をしてでも、就学は続け、成績も上位を走っている学生たちもいた事が分かりました。そして、この中に、現在日本の大学院で勉強中のA君もいたのです。
…そうした状況を受けて、僕が、こちらへ来て直ぐに雇い入れた現地スタッフ(先の事例に挙げたのは別のスタッフで、こちらの方は、上記の内容も含めて、不正を働いた為、辞めて頂いた)に諮って打ち出した方向性は、現在の活動の基礎となる部分で、
1.学生の採用に当たっては、成績標準を設け、やる気を重視する事(成績
を重視し、家庭訪問+個人面接を必ず行い、里子候補本人の素養と、家
族のレベルを見極める事)
2.必要最小限の(調査の結果、就学に必要な過不足のない)現金を全員に
月に一度、一律に支給する事
3.奨学金を受けた結果、どうなったかをちゃんと検証する為に、成績の報
告を義務付け、問題があれば、即時、話し合いをする事
…以上3点でした。その根拠は、至極当然と言えば、当然なのですが、彼らが就学困難或いは不可能に陥るのは、現金が無い為であり、彼ら自身が未来の為に、教育を受ける事が一番重要だと感じている限りは、与えられた資金を、その最優先課題の為だけに使ってゆく筈だ…という所にありました。
結果としては…ほぼ、思ったとおりで、やはり、相手のレベルが(家族も含めて)高ければ、変なカネの使い方はしない上、80%以上の確率で奨学金支給前、支給後を比べて、成績の向上が見られた事と、思わぬ副作用(?)として、彼らが毎月定額の奨学金を自らの責任で管理させる事により、個人差はありますが、ちゃんとした金銭感覚を身に付けさせる事が出来て来たように思われます。(要は、日本人でも、未成年の内に、月単位、或いは週単位で適当な金額を‘お小遣い’として渡され、それを自分で管理する事によって、金銭感覚を磨く筈ですが、フィリピンような貧困国では、庶民レベルの子供に、定期的に一定額のお小遣いを持たせられるような家庭が、ほぼ存在しない中で、世代交代を重ねてしまっている事も、ちゃんとした金銭感覚や計画性が身に付かない原因の一つと考えられるのです)
毎月の奨学金の使途については、以前、大学生には、どのように使ったかのレポートを提出させた事もありましたが、現在では、彼らの責任の元に管理をさせ、その結果(成績)については一定の責任感を持つよう、意識付けをしており、医療費についてのみ、医師の診断書と薬を購入した際の領収書は必ず提出して貰っています。
そんな訳で、今回、C君からは、【領収書、診断書】が、先週末に提出され、関係医療機関には、こちらからも連絡し、内容確認をしてありますが、0.25ペソたりとも(?)違算はありません。
こうしたシステムで育てた学生たちに、今度は、底辺にいる、こうしたシステムでは救えないレベルの子供たちを支援する方向に動いて貰うのが僕らの最終目標であり、この役割を今、事務所ボランティアのR君が(まだ駆け出しながら)担っていますし、将来的には、今、日本で就学中のA君も、日本で学んだ事を生かして、‘母国フィリピンの為になりたい’と明確に意思表示していますから、これまでのところ、10年以上の時間をかけて、何とか形になって来たのかな…そんな風に感じています。
(マクタン島のマングローブ)
(権兵衛)
について
首都マニラの線路沿いに住む何千というスクウォッター(squatter・ホームレスの人々が勝手に住み着いてしまった区域やその人達)が首都の景観を損ねるという事からマニラの北にあるバレンズエラ市に移転(リロケーション)させられましたが、今度は移転先の小学校が子供達を収容しきれないという事もあり、学校へ行けない子供達が増加。現地バレンズエラの学生達がプルメリアのボランティアスタッフとなって教会での活動等を開始している模様を以前お伝えしましたが、2009年になって現地の家庭状況を調査した結果はバレンズエラ市のビグナイだけでも1,045戸の移住者用の家(仮設テントやブロックを積み上げた家)があり、最近は世界的な不況の影響で今までより仕事が見つからない家庭も急増し子供達の就学率も悪化しています。
この線路脇のスクウォッター(squatter)が政府によってリロケーション
移転)され今度はバレンズエラ市にバランガイ(自治区)を形成しています。
リロケーション地区の小学生1年生〜3年生を調査したところ、このエリアの7歳から9歳の380人が靴を履いていません。サンダルを履いていても半分だったりボロボロで足を守る役目を果たしていない靴を履いている子供達でした。このリロケーションエリアで足に傷を作って不衛生なままにしておくと、感染症になる心配も高いでのす。それでなくとも近くを流れる川の水は汚染されていて、水たまりにはデング熱を媒介する熱帯シマ蚊が断続的に発生しています。
多くの家はドアも窓も付いていないので熱帯シマ蚊の吸血に晒されてます、
しかもデング熱が流行してから殺虫剤を散布するのでは遅いのでは・・・。
今回調べたのは下記に動画リンクとして掲載した番組でも紹介されているゴミ山のパヤタスから北西にある地域で、中華系比人が経営する工場が数多くある場所です。ナビスコならぬネビスコやサンクレストという大きなビスケット製菓工場やW・Lスナック工場、ジュースのブリックパックなどを作る工場、そしてその工場などで使うウエスを織物工場から廃棄される裁断片を使って作る工場などがありますが、この国は雇用半年未満は試用期間となり、半年未満で解雇して新たに労働者を雇い入れれば「半年未満の雇用は試用期間」という事から保険も最低賃金などの雇用法の適応もされず、会社側は低賃金の労働力を常時使えるという仕組みになっていて、これはこの国全域に言える事でセブ島の経済特区の海外企業でさえも同じ手段で安い労働力を使い回ししている所も多いのが現状です。
なので人々は仕事が見つかっても三ヶ月から半年未満で自動的に解雇されてしまって、また新たに職探しをしなければならないという事を延々と続けなければなりません。そしてリロケーションさせられてきた人達はその職にありつくチャンスも低く、無職の時は乗り合い自転車などを漕いで食いつないでいるという状況です。今回調査したエリアの人々も、常時三割くらいの人は仕事が無い状態で、皆さん自分で出来る乗り合い自転車やサリサリストアー(雑貨屋)をして何とか食べるものを・・という生活をしています。ちなみに乗り合い自転車は初乗り5ペソ(約10円)で、2q以上(だいたい)や重い荷物などを載せる時はプラス1〜2ペソ(2円〜5円)です。
世界的な不況で先進国に住む私達でさえ他人の事など構っていられないという様な雰囲気の昨今ですが、私達以上にその先進国の都合に左右される途上国の人々の暮らし。。。農地解放等の根本的なシステムを変えて行かなければ住むところも食べるモノも無く、田舎から都会に出てきてスラムを形成する人々が増えるばかりです、私達にも出来る何かはあるのでしょうか。