【現地での教育推進活動】
− 何故‘教育’が必要なのでしょうか? −
私達日本人の持つ‘セブ島’のイメージって、どんなものでしょうか?
ビーチリゾート、ダイビングスポット、マリンスポーツ…こうした「南国の楽園」という印象をお持ちの皆さんが多いのではないでしょうか?。
それでは‘フィリピン’というイメージはどうでしょうか?。率直に言って、南部のゲリラのニュースとかからアブナイ国、ゴミやスラムの広がるキタナイ国、日本人犯罪者の逃亡場所?、売春・買春…など、日本においては、あまり良い印象をもっていない方が大多数を占めていると思います。いまだに「マニラに潜伏」とかいう文字を新聞等で見かける事もありますからね。
セブ島はそのフィリピン共和国の一部、セブ州にあり、具体的には、ビサヤ地方中部に位置し、その州都セブ市は、フィリピンの中では人口第2位の都市です。日本で‘セブ島’と言うイメージの中で語られるのは、実はセブ州の中でもごく一部で、セブ島の東端に位置する周囲20kmに満たないマクタン島の東海岸に集中するビーチリゾートを指す事が多いのが現状です。
そんな訳で、皆さんがセブ島と聞いて持たれるイメージと、フィリピンに対するイメージの双方が、このセブ島には同居して光と影をおりなしています。
もちろんセブ島やセブ市は、フィリピンの中でも最も安全な地域であり、フィリピンの首都マニラ圏とは、その趣が随分違う・・・これは確かです。
しかし、影の部分に目をやって見れば、そこには確かに貧困があり、その貧困がフィリピンに対する悪い印象の根源になっているのも事実です。
それでは、何故、貧しい人々が多いのでしょうか?
その理由は色々とありますが「彼らが貧しすぎるから」と言う事もあるのです。
貧困の原因が「貧しすぎる事」で、その結果が「貧しい事」って・・・、何だか質(たち)の悪い冗談のように聞こえますが、その冗談のような事が起きていて悪循環に陥いる土壌がここセブ(フィリピン)にはあります。
たとえばセブ周辺に暮らす人々の平均的な賃金は、日本円換算月額12,000円未満程度で、それに対する物価は単純に比較するのは難しいのですが、おおよそ、日本の2分の1から3分の1と言う所ですから、日本国内で月額36,000円くらいの収入で今の日本の物価の中で一家5〜6人が暮らしているような状況がここでは普通です。…と言う事は、日本で生活保護の対象になる人たちくらいの生活レベルの暮らしが出来れば、ここセブでは、「豊か」と言う事になってしまう現実があります。
こうして、ここセブの大多数の人々は食べられるか食べられないかギリギリの線の生活をし、他には何もする事が出来ないから、当然の結果として、学校へ子供を送り出せない世帯が多いのです。そして周辺の農村からは食べられない人々が今も都市部に流入しスラムを形成しています。
ここセブでは、ハイスクール(日本の感覚に合わせるならば、小学校6年を修了後の4年制の旧制中学校に近い位置づけになります)を修了できる人間が、現実の話として全体の半数にも満たないのです。そして、結果として、そうした人々は、まともに職に就くことが難しく、貧困層は何時まで経っても貧困のままであると言う‘負の循環’に陥っています。
‘民主主義は、教育によって担保されている’
…こんな言葉を聞いた事があります。
フィリピン共和国の代名詞に‘ピープルパワー’とか‘アジアで最も古い民主国家のひとつ’と言ったものがありますが、前出のような現実をして、大多数の人間が高等教育を受けられないのでは、その民主主義の根底すら危ういものとなっています。
事実として、この国の政府の清廉度は世界的に見て、ワースト(最悪)に近いところにあると言うレポートが各種民間団体の調査から明らかになっております。国民が正しい見識をもって、自らの指導者を選ぶだけの民度に達していない(つまりは、それだけの教育水準に達していない)…これが、とどのつまり、この国の貧困問題の根源にあるのだと思います。
もちろん私たちのような民間の団体に出来る事というのは限られていますが、だからこそ、私たちが目標とするのは、そうした庶民と呼ばれる貧困層に生まれても、可能性のある子供、やる気のある子供、そして、家族が教育の重要性を認識している事を最低条件に、まずは、子供達の教育を通して、個々の人間の自立を支えてあげたい・・・、教育と言うものは、物質的な援助とは異なり、一旦‘その子’の身に付けば、一生その子の精神的な支柱ともなり得ると考えています。
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テレビで放送された活動紹介のVTRです
上の動画でも紹介されていますが貧困の中にいても未来を夢見て一生懸命に勉強している子供達が大勢います。そんな子供達を私達は心から応援したいと活動を続けています。セブ島の子供達について、そしてセブの現場の実際について、そして私達の活動について、知って頂ければ嬉しく思います。
『J君の場合』
彼の場合は生活の状態が非常に低い水準で、成績も
私達の奨学金制度のラインを割ってしまいました・・・
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『赴任』
私がセブへ初めて足を踏み入れたのは1999年7月の事でした。
その時には現地スタッフが1名と現地の協力者が居て・・
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『時間と約束を守る』
里親の皆様の里子訪問に際し、現地セブの身体障害者へ車椅子寄付式典を同時開催する為、大学奨学生たちを、その準備にボランティアとして駆り出しました。
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セブ島におけるプルメリアの教育支援活動については、現在、特定非営利活動法人プルメリアの社員正会員や活動経費の部分を支援して下さる提携スポンサーのご厚意と、日本国内で活動する理事役員全員が支援者であり無償ボランティアで活動していますので、一般会員や里親さんからの支援については、ほぼ全額が里子や奨学生の為の支援に充てられています。
セブ島の子ども達への支援についての説明のページ
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