セブ島 旅行記

 
【セブ島レポート2006−AUGUST-13の夜】
 

ホテルに着くと現地係員がフロントに行きチェックインを済ませてくれた。
そして帰りの航空チケットを預けて帰国日のスケジュールの確認をした。


帰国日は7時半にロビーで待ち合わせて空港まで送ってもらう予定だったが、何事も余裕を持ってやりたかったので「7時に来てください」と言うと「7時半で余裕です」と言う事であった。

しかし「7時に出て、ちょっと市内を回って空港まで行きたい」とお願いした。
でも 「他のお客さんもピックアップしなければならないので」というので 「200ペソでどうですか?」と言うと
「それでは会社にシークレットで他の係員を迎えに来させます」と、交渉成立。


             
    


さて、ひとまず部屋に入りシャワーを浴びてお気に入りの作務衣に着替えて、Mr.Gこと権兵衛さんに
F氏の携帯を借りて到着の報告をしたのだが、権兵衛さんが明日からのスケジュールの打ち合わせの
ミーティングをする為にホテルまで来てくれる事になったので、それでは権兵衛さんの奥様やF氏、
皆さんご一緒に夕食でもとりながらという事になった。
 
 
権兵衛さんはセブで教育支援に携わって今年で7年目になろうとしている日本人である。

奥様はセブで出会ったフィリピン人で去年の11月5日に可愛い赤ちゃんも二人の間に誕生している。
じつは私が教育支援に興味を持ったのも、権兵衛さんが発信するブログがキッカケであり、
植民地時代から受け継がれてきたこの国の背景についての解釈も、概ね同じ意見であったという事が
「実際に庶民の暮らしをこの目で見たい、実際に権兵衛さんにお会いしたい」という衝動となって
今回行動にうつされたのである。
 

というわけで、セブについて早々「日本食専門店・呑ん気」でもってミーティングは開始された。
 
「スシー」  「サシミー」  「ミソスープ」   「サバーのミソニー」

「テンプラー」  そして富山の銘酒 「タテヤマ・レイシュー」 とサンミゲル(ビール)。
 

           
                          ここは・・・セブ?
 


権兵衛さんの奥様もF氏も日本経験者で大の親日、今夜はお二人の為に和食にしたのである。

が、刺身もシャリも日本のものと全く引けを取らない味であり、海老に関してはセブの方が大きくて
プリプリして美味しいのであった。お値段も日本に比べればお安くて一押しである。
 
この店はマンダウエ市(セブ市の北東に隣接)し、権兵衛さんのブログにも紹介されているので
詳しくはこちら (http://blogs.yahoo.co.jp/gombiedon/27022678.html?p=1&pm=l)。
 

 
ミーティングでは明日はセブ市内の学校を訪問し、各校の校長先生や教師、そして権兵衛さんのNGOが教育支援している奨学生と会って話を聞き、日本から持参したエンピツを生徒に渡す事と、教育支援で大学に入り、現在勉強中である奨学生の所に家庭訪問をして家族に会い、その地域の実際の生活を見てまわり、二日目はセブ市から離れた郡部の学校を訪問してから、奨学生の家庭訪問というスケジュールとなった。
 
権兵衛さんが携わっているのは里子教育推進事業で、去年末で中学生79名と、
大学生になった124名の支援をされていて、セブ州とボホール州に203名の奨学生を持っている。
 

     


教育支援の対象者となる子供の基準は、「やる気」と「実力」はあるが
「経済的な問題により学業継続が著しく困難な生徒」という選考基準事なので、奨学生とて1日3食を
まともに食べられる者は数パーセントである。こんな状況にありながら皆勤賞を続け、1クラス60〜70名の内、上位5〜10位までの成績を維持している子供達ばかりだという。
 
何故ゴハンも満足に食べられない状態で勉強する事が出来るのか。
 
それは優秀な成績を収めて大学の授業料の免除を受けるくらいでないと修学も出来ず職にも就けず、
失業率が50%近くというこの国の「貧困層」からまともに抜け出す術が無いからである。
 

     


しかし権兵衛さんの教育支援活動も里親がついて修学支援をしているのは半数に満たず、
殆どが財団の負担である為に、やる気と実力があっても支援出来ない子供達も数多いと聞く。

出来るだけ沢山の子供達に勉強するチャンスを与えてあげたいという気持ちから、
今後は新しい方向性を打ち出して日本でもNPO法人を立ち上げる予定だそうだ。
 
そして多くの方々に協力して頂く為に、ここセブでの準備も着々と進めているという。
 

             


そんな話をしていると時間がいくらあっても足りないので、せっかくセブに来たのだから、
まずはセブ市マンダウエ市、そしてマクタン島を一望できるトップヒルズ(通称トップス)に行きましょうか、
という事になった。
 
ミーティングだけかと思っていたのでデジタル一眼レフのカメラを持っていなかったから、呑ん気から出て、通りでタクシーを捕まえ一旦ホテルにもどり、私の所属する社団からお借りしたデジタル一眼レフカメラと自前のフィルムカメラを持ってタクシーにて再度出陣した。
 

サリナス通りを北上し、JYスクエアーモールを過ぎた辺りから山道に入る。

マルコポーロプラザホテル、マリーナシーフードを過ぎてタイトなコーナーが増え、
日中は市内の至る所で見かける庶民の足「ジプニー」が、道の脇に所狭しと並んで駐車されていた。

後で聞いたのだが、並べられているジプニーは全て近くに住む中国系フィリピン人のオーナーのもので、
トップスへ向かう道端が夜間の駐車場になっているという事である。

考えてみたら市内にはジプニーの駐車スペースなど無いので、山道の道端に並べて駐車させて
1台のジプニーで雇われドライバー達は市内に帰って行くのであろう。
 


タクシーも同じで、自分でタクシーを持つドライバーは少なく、オーナーから1日500〜800ペソで借りてガソリンは自腹でもってタクシーを走らせている様だが。最近はガソリンも値上がりするばかりで、ガソリンのメーターは常にEのラインである。

客を乗せなければガソリンも入れられないので、客が乗ってからガソリンスタンドに寄る光景も珍しくなく、オーナーに借り賃を払ってガソリン代を引いたら200ペソ(440円くらい)しか手元に残らなかったという話も・・・。
 
タクシー業もかなり苦しい様だが、タクシー自体も走行距離30万キロを超えているなんてのは当たり前で、私達がホテルから乗った比較的きれいなタクシーもトップスが近づくにつれて悲鳴を上げ始め、トップス手前の急な坂を上れず、

・・・とうとうオーバーヒートしてしまった。


なかなかエンジンが掛からないので、我々は車から降りてその坂だけ徒歩で上がる事にしたのだが、
エンジンを掛けようとキュルキュルとセルを回しながら、意に反してタクシーはバックしていった。

どうやらブレーキもかなり すり減っている様である。


我々はタクシーを気にしながら ゆっくりと坂道を徒歩で上っていく。


タクシーは坂を登ろうとするが・・・下がっていく。。


キュルキュルとセルを回しながらタクシーは下がっていく。


タクシーは下がっていく。



・・・そして、  見えなくなった。
 



さすがに夜も更けて車も通らないトップスへの道である。タクシーがバックしていって見えなくなってしまったので不安になったが、まあ、権兵衛さんが携帯を持っているので別のタクシーを呼べば良いかなとも考えたが、もしそのタクシーも登って来られなかったら・・・と想像して、また不安になった。
 
坂の頂上付近まで歩いて、しばらく待っていると、車のヘッドライトが見えた。

先ほどのタクシーである。

よかった、エンジンが掛かってラジエターの水も少しは冷えた様である。
再びタクシーに乗り込み発車、3分程でトップスに着いた。
 
展望台は六角形の石が敷き詰められているサークルで、膝程度の高さの石垣の向こうにセブ市、
マンダウエ市、そして日本の橋とマクタン島の街明かりが星の様に輝く 素晴らしい夜景である。





      湿度の低い乾期には、空一面に星の輝きが見え、いま以上に絶景なのだそうだ。



こんなに美しく光り輝いているセブの街明かり。そして その下に暮らす人々。


     




    ふと権兵衛さんのブログにある「楽園の影に隠れた貧困を見つめて」という言葉を思いだした。


                【セブ島レポート2006−AUGUST-14へ続く】

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