セブ島 旅行記 |
【セブ島レポートAUGUST-15 セブ島 郡部訪問】 本日はセブの南西部にあるSan Fernando −サン・フェルナンド−という郡部にある学校に行く。 セブ市を南下して埋め立て地を通る。 この埋め立て地も日本からのODAで埋め立てられた埋め立て地で「埋め立てましたよー」というダケで 何もない。。。本当は外国の企業を誘致する予定だったのだが、みんな中国に行っちゃったので、 何にもない埋め立て地になってしまった。 目の前に海は広がっているのだが、セブ市から南西部の海沿いには、いたるところにスクワーターがあり、生活排水が流れ込むので綺麗でない。だから観光開発にも使えず、セブの重荷になっている。 セブ市から南西に延びるこの道の周りには、民家が少ない為、車は時速90キロくらいで ジープやトラックを追い越し快調にタリサイやナガを通過してセブ島の郡部を南下していった。 その道路沿いに綺麗な建物がある。サン・フェルナンドのシティーホールである。 それを過ぎて、幾つかの集落を通り、暫く走ると、 右折してすぐにSangat National High School(国立サンガット中学校)があった。 ここら辺まで来ると「田舎に来たな〜」という感じがして、スグ近くに山々も見える。 しかしセブ島にはジャングルという程の密林は無いため、ゲリラが潜伏している可能性は少ない。 と思う。 たぶん。 ここサンガット中学の奨学生は「田舎の生徒だから」と馬鹿にする事は出来ず、 セブ市内の公立中学校のトップクラスの生徒が不合格になってしまうような難関国公立大学への合格率が、これまでのサンガット奨学生の実績からすると8割を超えている上、現在大学へ入ってからも上位の成績で走っている生徒ばかりだという。 やはり静かな環境と、セブ市などの都会と違って学校へ行く為にジプニーやトライシクルを利用しなくても良いし、物価も市内よりは安い分だけ時間的にも経済的にもストレスが少ないので良いのかも知れない。 (左の男子が後で家庭訪問する奨学生の L 。 そして後ろの眼鏡の人がクラスの先生) しかし権兵衛さんが支援する奨学生という事は・・・、やはり皆、それぞれ複雑な家庭事情を抱えているのである。。。奨学生の一人は父親が養育を放棄して行方知れずになったかと思えば舞い戻り、4人も母親が変わったという家庭の子供や、栄養失調で先生が見るに見かねて引き取って助けていたり、中には薬中毒の父親に乱暴されて、深いトラウマを抱えながらも「自立して家族を助けたい」という生徒まで様々な事情を持つ子供達ばかりである。 しかし実際に会ってみると、皆、一様に明るく、家族を助け、仕事を手伝いながら、 一生懸命に勉強に励んでいる子供達ばかりだ。何故そんなに明るい表情が出るのか。。。 食べる物も満足に食べられない様な生活。さらには複雑な家庭に育って、 何故そんなに家族を愛する事が出来るのか。。。 それが、この国の、国民性だというのか。。。 持参したエンピツを渡し、それぞれに持つ将来の「希望」を聞いて、 とりあえず私の所属する社団が支援してくれるかどうかは未だ判らないけれど、 この子達の笑顔を消してはいけないと思い、私個人としてだけでも出来る限りの事をしたいと、 心に誓ったのであった。 そして写真にもあるサンガット校の学生で権兵衛さんの支援する奨学生 Lのお宅に、行く事になった。 L は近くの中華系の地主の土地を耕す「小作人の家庭の子供」である。 学校から少し山に入ると道が細くなり、そこからは徒歩だ。 名も知らぬ花や木の実、椰子の木やバナナが自生している美しいところであるが非常に暑い。 暫く歩くと足元が徐々に平らではなくなり、 牛の糞や虫が飛び交っている原っぱを抜けて林へと入っていった。 あ、牛の糞は落ちていただけで、飛び交っていませんでした。 途中で山羊を連れた他の小作人とすれ違った。 ↑ 彼の来た方角を見ると、椰子の木の下に家があった。 さらに奥へ進むと、林の木陰が多くなり、少しは涼しく感じられた。 ↑ Malunggay(マロンガイ)という比国では貴重な緑黄色野菜の木 気が付くと小さいサトウキビ畑が見えて、作物を作っている畑を通り、 ニワトリ小屋に隣接する彼女の自宅に到着した。 お母さんが出迎えてくれて色々と作物について説明してくれた。 ゴーヤ、ナス、トウガラシ、キュウリ、サトウキビ、ニワトリ、イモなど、 肥料も使えないので殆ど自然に育っている作物だ。 小作人が栽培する作物は、すべて地主のものであるが、お母さんはゴーヤとナスとキュウリを数本くれて 精一杯の歓迎してくれた。食べるものを作っているのに自分達の口には入らないので 農家といえども小作人は満足には食べられない。 やはり学校を出て、明日の食べ物に不安を持たないくらいの人間的な生活をしたい。 その為には勉強して奨学金を貰わないと学校へも来られない。 だからゴハンを食べられなくて栄養失調気味でも学校は休まない。 L の成績は、学内では標準を超えているのだが、生活の状態が非常に低い水準で栄養失調状態にある事から、体育の時間に骨折した右前腕骨の単純骨折でもギプスが取れるまでに8ヶ月以上を要し、学業どころではない貧困に 「本当に修学できるか、持つかどうか・・」と心配されていた。 しかし、上の写真にもある眼鏡の先生から「彼の場合は、せめて、中学校を卒業させてあげないと、あの状態ではどうにもなりません。何とか・・」との とりなしを受け、学校側でも中途退学させない様に全力で指導すると言う約束を得て支援を続けているそうだ。 現在、学校側の指導もあって結構良いレベルで頑張っている。骨折しても病院にも行けず、権兵衛さんの支援があって初めてセブ市内の病院にかかりギプスをした訳で、もしそれが無かったら骨折そのものは時間の経過で治ったとしても、腕の変形等の問題が出ていたに違いない。 「このまま伸びてくれれば、大学に進学してもやって行けるかも知れません。」と 権兵衛さんは期待していた。 子供が学校へ行くことが当たり前に出来ない生活レベルでは、家族の協力も不可欠である。 学校へ行かせる為に食費を削っている、というか、初めから削る余裕がないので食べられない時もある。 しかしこの貧困から抜け出す為には、優秀な成績でもって授業料免除で大学を出る以外に 自立して職を手にする手段が無いのである。 エンピツだけでなく ノートも持ってくれば良かった と後悔した。 【セブ島レポートAUGUST-15 Bingka(ビンカ)を食べる へ続く】 ホーム |